女木島に鎮座まします日蓮大聖人大露座像
日蓮上人
 女木島に鎮座まします 日蓮大聖人大露座像はもと京都伏見の宝塔寺の塔中の直勝寺というお寺の御檀家で、当時土建業で富を成された深草在の北村宗次郎と言う方が、伏見深草(ふしみふかぐさ)の通称「記念山」と言うところに建立されていたものです。
 遺族の方が銅像を処分されることになり、それを高松の鏡原敏夫氏が古金として買い受けられた。ところが、どう考えても、地金としてつぶすことはもったいなくて恐ろしくなり、法華のご信者さんに相談され法華宗側が買い取りしてくれた。その後いろいろ候補地を探したが、なかなか見つからず困却していた。このことを知った女木島の人達が銅像を女木島へ奉ってくださるならば、建設工事は一切島で引き受けますと言うことで女木島行きが決まりました。昭和12年4月28日に開眼式を行った。それ以来高松の法華信徒によって絶えることなく女木島へのお参りが続けられている。
 この御祖師様は標高200mの女木山頂の岩場に高さ4m四方の基壇の上に鎮座された5.5mの銅像であって海をへだてて、はるか東方に向かって座っておられる。
 御容貌は威厳の中にも微笑をたたえられ、常の御姿の通り左手には法華経の第五の巻を捧げ持たれ、右手に念珠をかけて桧扇を持っておられる。 
 史実によると聖人さんは、西暦1222年に安房国小湊(現在の千葉県安房郡天津小湊町)でお生まれになりました。時あたかも鎌倉幕府が政権を執っており、本人12歳の時仏門に入り、諸宗を各地で学び「法華経」によってのみ末世の国家の平安もありうることを悟り1253年に「日蓮宗」を開き、辻説法で他宗を激しく攻撃をし論破した。
 1260年「立正安国論」を幕府に献じ、国難を予言して幕府に申し立てをしたが聞き入れられず、伊豆に配流、赦免後幕府や諸宗の批判をやめなかったために竜口(たつのくち)で斬られかけたが佐渡に流された。
 許されて甲斐の国(山梨県)身延山に隠棲、武蔵の国千東郡(現在の東京都大田区池上)で、六老僧(日蓮宗で日蓮の六人の高弟、即ち、日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持)を定めて1282年にこの世を去られた。
 日蓮聖人の字(あざな)は蓮長、し号は立正大師と呼ばれております。